第6部 悲しき殺人鬼 <下>

 
「有栖川有栖という作家はお好きですか」
仁藤は「え?」と返した。
「オガワという女性もよく読んでいたそうですが、新本格という、松本清張が始祖となった社会派推理小説に対抗した小説を書き続ける作家の一人で、”ハウダニット”とも言われる”トリック”ではなく、論理的な推理で”フーダニット”つまり犯人当てを重視する内容から、日本のエラリー・クイーンと言われる人です。1989年に『月光ゲーム』でデビューしました」
「それがどうしたんです?」
少々困惑しながら仁藤は聞いてきた。俺は話を続けた。
「『月光ゲーム』の中で、主人公たちが替え歌を歌う場面があるんですよ。とある昔の特撮番組のね」
「特撮? そういえば、あなたの相棒をしていた女子高生の人が、ブンボーガーとかいうものに夢中だと言っていましたが」
仁藤の質問に、俺は少し苦笑いする。
「ええ、この事務所に屯しながら、スマートフォンでよく見ていますよ。――まあそれは置いておいて。怪談クラブのメンバーの名前、その特撮番組から付けられたようですね」
明日香に調べてもらった情報を書いた手帳を片手に、俺は話を進めた。
「『怪奇大作戦』――円谷プロが1968年に制作したドラマです。SRIという組織が、科学を悪用する犯罪者と戦うSF刑事ドラマというような内容で、特撮マニアの間ではかなり人気の高い作品だと、明日香に聞きました。それで調べてみたのですが、怪談クラブのメンバーに付けられていたという名前は全て、このドラマに登場する人物の名前なんですよ。怪談クラブの主催者だったマトヤという女性も、デビュー作の小説でそういうネタを挟んだ有栖川有栖と同様、世代的にそういうドラマに夢中になったのでしょう」
「……それで?」
冷たく言う仁藤に、俺は最後の一手を放つことにした。
「ちなみに、オガワという人物は、スナックで別の有栖川作品について話をしていたようです。1990年より後に出版された小説の、ね」
仁藤は、気を抜いたように目を細めた。
「『クトゥルフ神話』と『デビルマン』がどう、という話をしていたそうですが、それが書かれた有栖川有栖の小説は、2017年に出版された『狩人の悪夢』です」
仁藤が呟いた。
「ノートを見せられた時は、マトヤさんがあのノリで書いていたのかも知れないと思っていたから気付きませんでしたが。銃声のこととかを調べたのなら、怪談クラブの事件が去年のことだと分かっていたはずです。わざわざ恵が死んだ直後に起きた事件だなんて、私に嘘をついて話を進める必要はなかったでしょう。ただ話がややこしくなっただけだから、私も真相を話すタイミングを逃してしまった」
「ええ。ハッタリが効き過ぎましたか。あなたの口から、真実を話してほしかった」
俺は冷静に話を進めた。
「警察の調査結果とかをまとめて、私は考えました。きっと、マトヤという主催者は、怪談をリアルに感じられるよう、恵さんが亡くなった時期へタイムスリップするかのように、”今は1990年である”という意識で会話するよう、メンバーに言い聞かせていたのではないですか」
「その通りです。まあ、しょうもない話です。わざわざ中森明菜があの年に出した曲まで流してね。まあ、しっかり隠したつもりが、死体もすぐ見つかってしまった私が言えることではないでしょうけど――しかし、あの中田礼二さんの事件であなたに出会ってからというもの、自分が犯した殺人も見破られてしまうのではないかと、内心ヒヤヒヤしていましたよ。どうして私が犯人だと分かったんです?」
「初めてあなたに会った時、あの密室の現場の写真を撮っていましたよね。改めて考えると、少々不自然ではありました。礼二さんが亡くなった直後、またあの場所を撮影しようと思うのかと。あなたにしてみれば、このような罪を犯した後で、色々な思いを持ってのことだったのでしょう」
「オガワから岐阜県で密室殺人が2012年の9月末にも起こったと聞きましたが、それよりももっと昔に、より完全な密室トリックを実行した中田礼二さんが亡くなって、改めて裕子さんの無念を振り返りたいと思っていたんですよ」
溜息をついて、仁藤は話を続けた。
「去年の頭でしたか。取材をしていたとき、あの怪談クラブの存在を知りました。不謹慎な奴らだと思いながら、連中の動向を調べてみようと思いまして。そうしたら、恵のことを怪談扱いし始めましてね。腸が煮えくり返りましたよ。病気で大人になることもなく亡くなっていった恵のことを、そんな風に扱うなんて……」
仁藤は無言になった。俺は説得すべく、話を続ける。
「あなたのその思いやりが、殺意へと変わったのですね」
「どうしようもない連中でしたよ。マトヤとマキについては、どうやら男女の関係にあったようで、マキは事件当日の朝、婚約者に会っていたそうですが、マトヤには嘘を吐いていました。まあ、そんな中で生まれた二人の懐疑心も、計画に上手く折り込めた訳です。偶然ではありましたが、嬉しい誤算でしたよ。最後には二人は自滅してくれてね……人としてどうしようもないのは、私のようですね。取材で知り合った裏社会の人間に、こんなものももらってね」
そういって仁藤がカバンから取り出したもの――それは、怪談クラブのメンバーの命を奪った、スミス&ウェッソンのリボルバーだった。
――まさか。
仁藤は、自分のこめかみにその銃口を向けた。ゆっくり撃鉄に指をかけ、引こうとしている。
「こんなことをした落とし前、自分でしっかりつけますよ」
焦りながらも、俺は最後の一手を打った。
「聞いてください、俺でも解けていない謎を!」
「……どういうことです?」
仁藤の動きが止まった。俺は落ち着くよう自分に言い聞かせ、話を続けた。
「マトヤという女性が少女の幽霊を見たと、ノートに記録していることを確認しました。他にも、ミサワというメンバーが怪談話をしていたそうですね。それについては、私は合理的に推理することができません」
「……そんなのはただの見間違いでしょう!」
「そうでしょうか?」
俺は少し熱くなって言葉を絞り出した。
「マトヤという女性も言っていたそうですね、人類が知っていることなどたかが知れていると。私も幽霊を信じてはいませんでしたが、科学的に存在するかしないかも立証できていないのだから、少しは信じてもいいかなと思うようになりましてね。きっと恵さんは、あなたに罪を犯してほしくないから、怪談クラブの前に現れたのではないかと、私は思っているんです」
「それが……それがどうした――」
仁藤の腕を誰かが掴んだ。暴発しそうな拳銃を掴んで奪ったのは、そっと事務所に入ってきた新命警部補だった。
「バカな真似はよしな。君は公的に裁きを受けるべきだ。自分で幕を引いていいことじゃない」
 
仁藤は警察に引き渡された。銃刀法違反にも問われるだろうが、罪を素直に認め、全ての真相を話しているそうだから、少しは刑も軽くなるかも知れない。
三日後、新命警部補は再度、事務所を訪れた。
「全く、自殺も考えていた犯罪者とも対決するなんて、名探偵はやることが違うな。もしもあの時撃鉄を引いていたら、飛び込んだ俺も止められなかったかも知れないぞ」
「所謂ダブルアクションっていう発泡方法は、撃鉄を引くのもシリンダーを動かすのもトリガーで行うから、撃鉄を引いてから発砲するシングルアクションと違って、シリンダーを押さえればトリガーは動かなくなるんでしたよね。うまく取り押さえてくれました、新命さんも流石です」
「あんな危険なこと、もう二度とゴメンだ」
「まあまあ。俺だって、マトヤが残したノートだの、警察で調べてきた目撃情報だのを色々確認して、細かい情報から推理せざるを得なかったんですから。おこがましいですが、少しは感謝してもらいたいですね。地震の話をしていたってことも、フィリピンでは1990年にバギオ、2019年にはバタネスで、両方とも7月に起きていて、ハッタリの材料にもできなかったりしたんだから」
そう、今回の事件は、まばらに集まった情報を集め、一つ一つを精査して解決することができた。直接事件を見ていない分、骨も折れる作業だった。
新命警部補がふと俺に質問してきた。
「ところで、幽霊の話、あれは君のハッタリかい? 君でも推理できないなんて」
「ああ、マトヤが見たものの正体は、何となく分かっています」
「ほう?」
「彼女、夏場でも時折、貧乏ゆすりをするように体をこすったりしていたようですが、これはヘロイン中毒の症状です。ビートルズ解散前後の頃、ジョン・レノンが中毒になっていた、モルヒネから作られるあの麻薬です。異常な快楽を生み出し、人の話もまともに聞けなくなるこれの中毒症状が悪化すると、少し風が体に当たるだけで痛みが走るそうですね」
「ということは、彼女は薬物を……」
「恐らく。他の薬物にも手を出していた可能性は高いと考えられます。牛乳とかに混ぜて飲むヘロインは結構ハードな薬物だから、薬物中毒者もあまり手を出したがらないと聞いたことがありますしね。マトヤは、怪談に触れて興奮した状態で、幻覚を見たのでしょう」
「なんて野郎だ!」
憤る新命警部補だが、俺は話を続けた。
「でも……まあ、少しは本当に、幽霊を信じてみたくなりましてね」
「そうなのか?」
「ミサワが怪談話を聞いていたということでしたが、単なる偶然から生まれた怪談なのか、それは誰にも分からないでしょう。それに――」
「それに?」
話をしながら、俺は外の景色を見た。下の階の自動車工場は、今日も生き生きと動いている。観光として訪れる人、商売として生活している人――浅草というこの土地をこんな形で見たことはなかったが、当たり前だと思っていた人が生きている様子が、目の中に焼き付いたように感じた。
不思議そうな顔をしている新命警部補に、探偵らしくない感覚で俺は答えた。
「限りある命を全うした人への敬意が、幽霊になるのかなって、ね」
〈〈第6部 完〉〉
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そして……
 
『名探偵・海城夕紀』