闇を引き裂く怪しい悲鳴……

『怪奇大作戦』エピソードを大分類!!

 

怪獣ブームは去ったと言われ、1968年に『ウルトラセブン』の放送が終了したことで、『ウルトラQ』『ウルトラマン』での栄光と賞賛を失いつつある円谷プロとTBSーその次の一手として日曜19時のタケダアワーに送り込んだ番組は、ウルトラマンと共に戦った科学特捜隊のドラマを発展させ、怪獣ではなく「科学を悪用した犯罪」と戦う組織・SRIを描いたSF刑事ドラマでした。
『怪奇大作戦』は、怪獣が暴れるような派手な特撮ではなく、日常になじんだ中での特撮表現を目指した作品であり、強烈な雰囲気とドラマの重厚さから、円谷作品でも屈指の人気作品です。そんな中で、科学力で冷静に犯罪と戦う牧史郎・熱く優しい心で人と向き合う三沢京助といったSRIメンバーの個性や指針からも分かる通り、番組コンセプトと映像表現の中で、『怪奇』の各エピソードからは様々な「方針」を見出すことができます。
「このコンセプトから何を描くのか」―表現という考え自体の根源はここにあります。全26話中の25本(*1)を「方針」で分類し、この名作の魅力を絞り出していきましょう!
(*1)第24話は欠番となっており、円谷プロダクションの意向により現在公開されていないため、本項目でも扱いません。

 

◆1◆派手な犯罪は人々を嘲笑う

『壁ぬけ男』『人喰い蛾』『死を呼ぶ電波』『幻の死神』『こうもり男』『殺人回路』『美女と花粉』

怪獣ブームの後に訪れたのは、オカルトや妖怪に対しての世間の興味でした。「科学を悪用」するというサイエンス・フィクションから、ド派手な犯罪で社会を驚かせた者たちを描いたエピソードが上記となります。
元々『人喰い蛾』は第1話として放送予定でしたが、「人が溶ける」という特撮表現のリアリティが今ひとつだったり、ドラマ面でもシリアスさを追求する方針が推されたこともあり、リテイクとなった逸話があります。それによる制作遅延から第1話として選定されたのは、かつての栄光を忘れられない奇術師がタイトル通りの奇術で世間を翻弄する様を描いた『壁ぬけ男』でした。このあたりから、ウルトラシリーズから変換した番組方針に対するスタッフの試行錯誤が感じられると同時に、映像面でも物語面でも「人間と科学が怪獣に負けない怪しさを生み出す」派手さをプッシュしようとしていた意図も見ることができます。主題歌『恐怖の街』も、そのあたりを意識した曲となっていました。
少し考えていただきたいのが、番組の「売り出し方」という面です。「どういうコンセプトなのか」「何を描いているから面白いのか」をプッシュする商品宣伝はどんなものでも行われることであり、会社側が「ブームを受けて世間はどれだけ食いついてくれるのか」「ターゲットとしている受け手はどこに絞っているのか」を考えて売り出すのも商売としてやらなければならない基本でしょう。上記の通りオカルトへ興味を持ち始めた世間へ「科学を悪用すればこんな酷いこともできる」というアピールで番組を売り出したことは、現在の娯楽の売り出し方でも参考にできるはずです。
人間の「心」から他者を傷つけ、社会を壊していく様の「怖さ」は、この方針でのエピソードが一番掘り下げられていると言えます。他社の特撮作品で言えば、『仮面ライダーBLACK』なんかは暗黒結社ゴルゴムに協力する人間の汚い心をこれでもかと描き、ライダーがそれを打ち砕く様が非常にカッコよく感じられたりしました。制作予算やスケジュールが厳しいテレビ特撮としても、こういう「シチュエーション」からの娯楽性は結構重要になります。
同時に、「ミニチュアなどを現実に思わせる」特撮という表現の魅力や長所も、「一見したら特撮とは思えない」合成などを駆使して大きく深掘りされました。CGIが発展した今、東宝特撮についての記事で筆者が語ったような「人の意思も表現に組み込む」特撮の、アニメとかではできない独自性は、「人間が生活する中での描写」が目立つこれらのエピソードでより明確化していると思います。CGIも、『シン・ウルトラマン』などで「制作者の意思をパソコン上の映像でも反映する」ような使い方をして素晴らしい映像を生み出していたので、今後の発展のために考えておきたい部分です。

 

◆2◆世間の「思い込み」をすり抜けて

『白い顔』『恐怖の電話』『ジャガーの眼は赤い』『オヤスミナサイ』『死者がささやく』

そもそも『怪奇大作戦』というタイトルは、『スパイ大作戦』などを意識して「人が何かに立ち向かう」という意図を込めたものです。沖縄から上京し、円谷プロ企画室長として『ウルトラマン』に豊かな想像力と娯楽性を込めていた名脚本家・金城哲夫らしい方針ですが、「科学を悪用して犯罪を行う」ことを犯人側から見ると、そんなことを行う大きな理由はやはり「常識をすり抜けて自分から嫌疑をそらす」という、推理小説にも繋がるメリットでしょう。そして、SRIはそんな卑怯な犯罪者を科学力で暴き出していったのです。
実際、『オヤスミナサイ』では推理小説で定番の「双子」がトリックとなっていたり、『死者がささやく』は現実の犯罪捜査でも重要視される「指紋」を逆手にとって警察の目を欺いた犯人を描いています。「密室トリック」は「密室という状況と明確な謎が面白い」一方で「”自殺に見せかける”といった目的がなければ犯人にメリットがない」と指摘されますが、「アリバイトリック」は「犯人個人に関する話だから派手さはない」けれど「トリックを仕込んだだけで”現場に不在だったことを証明”できる」メリットになりますから、それが◆1◆とは違う方針の根拠と同様だとご理解いただけると思います。SRIの協力者である警視庁捜査一課課長の町田警部(演じるは『ウルトラマン』のムラマツ・キャップでお馴染み小林昭二さん)も、サブキャラでありながらこのあたりのエピソードでよく活躍していて、なかなか渋い見どころになっています。
余談ですが、円谷プロは『怪奇大作戦』と同時期にフジテレビで『マイティジャック』という特撮番組を制作していました。大戦艦・マイティジャックに乗り込んで戦う人間を描いたスパイ作品であり、『怪奇』とは違う方針で「科学特捜隊を掘り下げた」番組だったと言えます。「怪獣災害」「超常現象」を描いた『ウルトラQ』を発展させて『ウルトラマン』が生まれたことを考えれば、この項目で紹介したエピソードは、『怪奇』の本質的方針をストレートに描いていたと見ることができます。『緊急指令10-4・10-10』は70年代に流行ったアマチュア無線を『怪奇』のような「人が事件に絡む」描き方をして『MJ』とも差別化していたり、『電光超人グリッドマン』で独自性として注目された「ヒーローとメカの合体」を『SSSS.GRIDMAN』としてアニメ化した後の続編『SSSS.DYNAZENON』でさらに深掘りしていたあたり、このようなコンセプトの「広がり」は円谷プロのお家芸とも言えるでしょう。『ウルトラマンティガ』でも、一作品の中で「狼少年」を違う形で描いた『行け! 怪獣探険隊』『蜃気楼の怪獣』という例があります。

 

◆3◆驚愕! 科学も追いつかない自然現象

『吸血地獄』『青い血の女』『光る通り魔』『散歩する首』『氷の死刑台』『ゆきおんな』

アポロが月に行っても、動物の気持ちがわかる機械が開発されても、いまだに科学で解明できていないことはあります。とは言え筆者は、人間の経験値なんかたかが知れている分「まだ人間が追いついていないだけで、解明不可能な現象にも理論自体はある」のだから、人間のレベルだけの言葉である「非科学的」という言葉自体がおかしいとも思ってはいますが。
ここに書いた6つのエピソードは、牧史郎たちでも解明できなかった現象が物語の肝になっています。『人喰い蛾』で第1話を飾ることができなかった金城哲夫が『吸血地獄』という「死者の復活」を描いたエピソードを置き土産に沖縄へ帰ってしまったこと(*2)、科学捜査すら意識しないエピソードである『ゆきおんな』が『怪奇大作戦』の最終回となり最高視聴率を獲得したことは、人間が定義付けした科学もまだちっぽけであることを認識させられると同時に、ウルトラシリーズから「現実にはないもの」を描いていた中で、コンセプトが番組の表現の幅を妨げないようにしていた意思を見ることができます。
『宇宙刑事ギャバン』から始まった東映のメタルヒーローシリーズには、『レスキューポリスシリーズ』という、「怪人」ではなく「犯罪や災害」に立ち向かうチームを描いたシリーズ内シリーズがあり、そちらでも「科学で解明されていない現象」を描いたエピソードはありました(『特捜エクシードラフト』で「神とその子」まで描いたのは如何なものかと思いましたが(苦笑))。また、『光る通り魔』や『氷の死刑台』、及び下記◆4◆で紹介している『24年目の復讐』は、東宝がゴジラから離れて制作した特撮シリーズである『変身人間』と「人間が特殊な事情で特別な力を持ってしまう」コンセプトが同一であることはよく指摘されます。ちっぽけな人間を見返すことで、次の項目で紹介するような「物語性」は大きく深掘りされました。
反面、悲しいかな「円谷の特撮レベルが高過ぎて映像が怖い」ともよく言われるのがこのあたりです。同時期に『恐怖劇場アンバランス』という番組も円谷プロは制作していて、あまりに怖くて5年くらいお蔵入りしてしまったという逸話もあります……。
(*2)後に一度上京した際、『帰ってきたウルトラマン』に一本のシナリオを提供している。

 

◆4◆心打つ硬派な社会派ドラマ

『死神の子守歌』『霧の童話』『24年目の復讐』『かまいたち』『果てしなき暴走』『呪いの壺』『京都買います』

円谷プロにとっても大きな思い入れがある『怪奇大作戦』は、平成になっても『怪奇大作戦セカンドファイル』『怪奇大作戦ミステリー・ファイル』といったリメイク・リブートが制作されました。そのように愛され続ける原動力と言っても過言ではないのが、科学犯罪を描くことで社会にも問題を訴えかけてきた「テーマ性」であります。
「コンセプト」の方針から発展しての「物語性」での紹介となってしまいますが、本項の7つのエピソードは『怪奇大作戦』屈指の人気エピソードばかりです。原爆の被害が色濃く残る中での兄妹愛が考えさせられる『死神の子守歌』、横井庄一氏などに先駆けて「終戦を知らない」人を描いた『24年目の復讐』、◆1◆のような派手な犯罪を描いていながら◆2◆で書いたことを全てひっくり返すような「動機なき殺人」「犯人不明」という結末が強烈な『かまいたち』『果てしなき暴走』、そして名監督・実相寺昭雄が京都ロケで贋作問題の闇を撮った『呪いの壺』ーSRIメンバーも、これらのエピソードでキャラクター性が浮き彫りになりました。『霧の童話』では、高度成長の中での所謂「地上げ」トラブル真っ只中である村の落ち武者騒動を捜査する中、三沢がその村の少年と交友を持ちますが、物語は思わぬ形で悲しい幕引きを迎えます。そして科学を信望しクールに犯罪に立ち向かっていた牧の悲恋が、誰よりも京都を愛した女性を描いた『京都買います』でテーマとなっていました。
◆1◆で視聴者の興味を惹いた中でスタッフがたどり着いたのは、現代でも解決できていないような、人間の闇が作り出す社会問題でした。学問としても、文系科目としての「社会」は「人が集まった中で生み出したもの」を学ぶものであり、個人の言葉としての「国語」との違いはここにあると筆者は考えています。SFというフィクションから、社会を鋭くえぐったこれらのエピソードが、『怪奇大作戦』でできる大きな魅力であり、ファンを増やしている要因となります。

 

『BLACK OUT』や『科捜研の女』のような平成の犯罪ドラマでは、『怪奇大作戦』のこれらの方針が影響しているとよく言われます。江戸川乱歩の『少年探偵団』は、本作で言えば『こうもり男』のような外連味の原点になっているとも言えます。「犯罪を追う姿が魅力的な刑事ドラマ」「受け手も謎と犯人を追いかける推理小説」という形で、ジャンルという分け方も「作品でプライオリティを置いている部分」から行われるものです。人間の心が生み出す「怪奇」から、高度成長期に生まれたこの傑作は様々な方針を打ち出すことができました。その多彩さが、特撮の奥深さと物語のコクを生み出してもいます。改めて、スタッフのメッセージを汲み取りながら、『怪奇大作戦』を見直していただければ幸いです。

 
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