『ゼルダの伝説』が世界を変えた!
『ティアーズオブザキングダム』と共に「ゲーム」の未来を考えよう!!
『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』社会現象レベルの大ヒットですね。この大ヒットのおかげで日本のGDPが底上げされたとかニュースになって、もうレベルが違いすぎます! かく言う筆者も、ゼルダファンとしてバリバリ遊んでいますw
会社の看板としてレースをしたり映画になったりもしている『マリオ』、たまごっちやデジモン等と併せて世代の人にとってはブームも懐かしい『ポケットモンスター』といった任天堂の主力商品が力を持つ中、ファミリーコンピュータディスクシステムのローンチタイトル(*1)として第一作が発売された『ゼルダの伝説』は、ファンタジーとしての世界感を冒険するアクションアドベンチャー・アクションRPGとして、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』にも負けない重厚なビッグタイトルに成長していきました。
驚きのストーリーが話題を呼んだゲームボーイの『夢をみる島』、3Dゲームの頂点として現代ゲームに影響を与え続けているNINTENDO64『時のオカリナ』といった名作を生み出してきた『ゼルダ』は、Wii U版も発売しつつNintendo Switchのローンチとして『ブレスオブザワイルド』を発売、「オープンワールド」要素を取り入れた非常に高い自由度から極めて高い評価を得ました。『ブレワイ』の直接の続編としてシステムも継承した『ティアキン』も最初から期待度が約束されていた訳ですけども、任天堂もまさか、発売3日で全世界1000万本を売り上げるという、ゾナウギアもびっくりのロケットスタートを切るとは思わなかったでしょうね(早速ゲーム内からのネタをぶち込みますw)。
(*1)ファミリーコンピュータディスクシステムとは、ファミリーコンピュータの周辺機器・拡張システムとして発売された商品で、ファミコンと接続することで磁気ディスクの大容量ゲームを楽しむことができた。そして、ゲーム機の発売と併せて同時に発売されるソフトのことを「ローンチ」と言う。そのため、ディスクシステムも半ばゲーム機の一種と見る動きもある。
余談だが、ディスクシステムのCMで『初代ゼルダ』を宣伝していたのは所ジョージ氏と間下このみ氏。「やればやるほどディスクシステム!」
……ちょっと前置きが長くなりました、すみません。。。
発売されてから様々な視点で語られているこのゲームなので、筆者はオリジナルな視点で分析したいのです。とは言えまだ発売されて間もない中での執筆ですから、『ティアキン』本編の話をやや控えめにした中で、別のゲームを例に出し、比較しながら、『ティアキン』の凄さも改めて考えてみたいと思っています。
では、本記事と併せてゲームライフもダダっとエンジョイください!
▲「アタリマエを見直す」方針は……
『ブレワイ』は「ゼルダのアタリマエを見直す」精神を徹底し、ゼルダを新しい地平に立たせようとした作品であるとスタッフインタビューで語られていて、シリーズファンもプレイしながらそのスタッフの意思を見直し、評価していました。
口で言うのは簡単ですけど、「アタリマエ」を見直して物事を大きく変えるって、相当な気合いと労力がないとできません。「アイテムをダンジョンでゲットして道筋を切り開いていく」という『ゼルダ』のアタリマエをがっつり排して、最初からラスボス直行という命知らずなプレイだってできてしまう充実感を徹底しつつ、過去の出来事を追っていくことで物語の背景事情は理解してもらう形を作り上げるのだって、スタッフさんはもの凄く工夫と苦労を重ねたことでしょう。ゲームという、プレイヤーが介入して楽しむ媒体だから猶更です。
こういうシリーズの在り方としてちょっと例に出しておきたいのが『鬼武者2』です。『鬼武者シリーズ』は、名前の通り鬼の力を借りた戦国時代の侍が剣をメインに戦うゲームなのですが、『2』の時点で「戦闘で意識する”命中率””攻撃範囲””攻撃速度””攻撃力”を巧みに振り分けた武器の種類分け」「”敵の攻撃が当たる直前に発動する一閃””溜めてから打ち出す奥義”などの技」という形で、「シリーズコンセプトでやれそうなことは全部掘り下げる」方針をまとめてしまっていた感があり、『初代』には物足りなさを感じ、『3』以降には蛇足感が拭えなかった面があります。
やり方次第で「ウルトラマンも出てこない『ウルトラQ』には怪奇性や怪獣ドラマに渋い魅力がある」とかいった方針でのクリエーションはできるし、『鬼武者シリーズ』の『2』前後の作品だってそういう魅力が皆無な訳ではありません。でも、特に長期シリーズになっていけばいくほど、シリーズコンセプトから生まれる独自性も時には求められながら、世間から厳しく評価されてしまうものです。
だからこそ、『ブレワイ』で「アタリマエの見直し」が高く評価され、『ティアキン』が更に「空にも地底にも冒険の幅を広げる」「ライクライクやグリオークなど『ブレワイ』には出ていなかったシリーズキャラの再登場も実施する」といった「続編のアタリマエも見直し」て新しいことをやれたのは、「『ゼルダの伝説』でやれること」もっと言えば「ゲームでやれること」を深掘りした時に「やれる”可能性”がないか」という考察と探求を行ったからでもあると、筆者は考えています。「可能性」にしっかり目を向ける―クリエイティブ精神の本質的な在り方と、人間の想像力が社会に及ぼす影響のポイントが、この部分に現れているのではないでしょうか。
▲ハイリアの盾、斯く暴れし
自由度の高いゲーム性が生み出した悲劇についても、少し触れておきましょう。え、悲劇……ですって?
『スカイウォードソード』以降の『ゼルダ』では、ハイリアの盾は「ラスボスクリアに必須ではない、プレイヤーへのご褒美」として「最強の防御力を持つ隠しアイテム」の地位を手に入れています。『ブレワイ』でも同様で、ゲットまでの道のりもゼルダファンの間で話題になりました。『時オカ』では店売りの盾だったのに、エラい出世したな……。
一方、鏡の盾・ミラーシールドは「光を反射して謎解きをする」クリアに必要なアイテムとして『神々のトライフォース』『風のタクト』などに登場しています。そして『時オカ』ではこの二つの盾が両方登場していて自由に取り替えられるのですが、何故かミラーシールドは「特定の敵の弾丸を跳ね返せず砕いてしまう」点でハイリアの盾に劣っていました。なので謎解きが終わればお役御免とするプレイヤーも多かったのです。一応最後に手に入る盾ですよ……。また、ナムコのゲーム『ソウルキャリバーⅡ』に『ゼルダ』の主人公・リンクがゲスト参戦した際に特殊装備としてミラーシールドも登場し、「ダメージを受けると相手に跳ね返せる」「しかしその攻撃はカウンターヒットになり自分に来るダメージも大きい」という、役に立つのか立たないのか分からない仕様になっていました。一応ゲスト参戦ですよ……。
そんな中で描かれた衝撃の要素……『ティアキン』の目玉の一つが「スクラビルド」という、古代の製造物であるゾナウギアをはじめとしたアイテムを武器に合体させるシステムなのですが、何とゾナウギアの一つに「鏡」があるのです! つまり『ティアキン』のハイリアの盾には、歴代ゼルダでミラーシールドが担っていた機能をもスクラビルドできる訳で……ああ、ミラーシールドの存在感……。
……とは言え、ゲームの遊び方・システムの方針ですからねー(何開き直っているんだ)。そして筆者は、キーホルダーを定期入れにつけるほどハイリアの盾を愛しています(言っちゃった)。そこで思い出すのが、Switch版『The Elder Scrolls V: Skyrim』(*2)でゼルダコラボとして登場した際のハイリアの盾の扱いです。
(*2)CERO:Zゲーム。
『Skyrim』では各アイテムに重さがあり、アイテムを多く持ちすぎると走れないしファストトラベルもできなくなる仕様があるのですが、ハイリアの盾は「防御力はまあまあ、重さが非常に軽い」という特性を持っていました。オリジナル装備の性能を邪魔しないし、使いたければずっと使えるくらいのバランスであり、ゲスト装備としては納得のいく立ち位置です。『Skyrim』には「鍛冶」のシステムがあるので好きなようにハイリアの盾も強化できるし、強化に必要なとあるアイテムも大量ゲットは難しいものの入手自体は比較的容易です。体力を上限増加させたりするのと比較して、重量対策をしようとすると意外と面倒だったりするので、その部分でも重宝します。ゲストでも分を弁えつつ存在感は出すあたり、ミラーシールドを跳ね除けたハイリアの盾の大進撃は止まらないでしょうね。
最近のAIの発展により、「機械が文章を書く」ChatGBTというシステムなども生まれましたが、簡単に言うと「ありとあらゆる情報」が機械に備わっているからこそ使えるシステムでもあります。「そこまで情報を集めるの?」と思えるくらいにまで集めることで機械が世の中を豊かにしている訳で、その部分でも『ゼルダ』で培ったものを細かく分析して「武器の設定にも自由度を」と考えた方針は、労力もかかっただろうし、本当に新しい地平へ『ゼルダ』を羽ばたかせたと言っていいでしょう。『鬼武者2』の話で書いた「パターンを網羅」もそれの徹底化に必要な考えの一つでしょうし、もっと詳細な追究を行うことで、ゲームを含めこれからのIT時代は大きく広がると思います。読書についての分析で「諦め」に近いような言い方も筆者はしましたけど、それは飽く迄「本当に追究した」結果の話なので、本当に細かく考えて時にはひっくり返して「まだできる!」ことも見つける熱意がなければ明るい未来はないでしょう。ミラーシールドは逆に、「あるアイテムでできるアクション」から「どのように謎解きを行っていくのか」を重視してシリーズとしてのゼルダの雰囲気を作ってきた中、それに甘んじないで「やれることがたくさんある」状態にすることで、アタリマエの「分解による諦め」の犠牲になってしまったと言えなくもない……ですな。。
▲「発展」に魂を捧げたスタッフ
さて、最後に『ティアキン』の大きな特色について述べましょう!
ウルトラハンドで飛行機とかを自由に作れ、『ブレワイ』をも超える多彩な遊びが提供されているのが『ティアキン』最大のセールスポイントです。そもそも、ビデオゲームは半ば、プレイヤーに対しては「ボタンというデジタルな入力・スティックというアナログな動作で操作する」ことによって、ゲーム画面の中に「動作の記号性」を提供している分野だという見方もできます。記号的だからこそプレイヤーに「こうしよう」が見えてきて、視覚や聴覚を刺激する「面白さ」を生み出すのです。その意味でも、この自由度の高い「制作」でプレイヤーに非常にレベルの高い「面白さ」を提供したスタッフの気合は凄まじいものがあります。アメリカのメリーランド大学で『ティアキン』のこのあたりを授業に取り入れたなんて話もありますから、「ゲーム」という在り方も考えなくては、と筆者は思ってしまいました。
一応触れておくと、「デジタル」と言うと「電子的」なイメージが生まれますが、正確には「分割する」という意味の言葉です。対義語の「アナログ」も「連続的な」が本来の意味です。数学でも「ある方程式をグラフにできるか」という問題が出てくることがありますけど、それと似たような形で抽象的に捉えていくと、「ゲームの中の記号性」はスタッフによる絶妙なバランスによって「面白さ」が生み出されることが分かると思います。「こんな場所にどうやって行くの!?」と思わせるような場所にゾナウギアで行けたりするシステムも、「アナログ」「デジタル」での絶妙な方針をプレイヤーに考えさせるものであり、ティアキンの幅広さを示しています。
筆者は「ただ見るだけの絵画」「大きな施設に行って観る映画」とかの芸術性や娯楽性とは真逆の、「プレイヤーのアクティブな介入」によって物語を生み出していくという部分でも、ゲームは最近注目され始めたと思います。プレイヤーがグラフィックで作られたフィールドから物語を考え、独自に生み出していく領域まで、ビデオゲームは発展しているのではないかと思っているのです。コロナ下でのゲーム需要なども言われましたが、エモーショナルな創造に改めて目を向け、外に出るだけではできないことにも気づかせたきっかけと見ることもできるでしょう。
任天堂にとっては、このような創造を行わなくてはならない局面は初めてではなかったと思います。プレステ2の大ヒットでゲームキューブは押されている中、「ゲーム離れ」なんてことも言われ始めた時、Wiiというゲーム機で「ゲームの定義も拡大してゲーム人口も拡大」するという強烈な方針を打ち出し、これまた社会現象と言えるヒットを飛ばしました。それでも、「ゲームに触れていなかった層を取り込めた」一方で「ゲームに慣れ親しんだ人を振り払いかねない極端な方針となってしまった」Wiiの欠点を任天堂が問題視したのも事実であり、それを埋めるべく制作されたのが『スーパーマリオギャラクシー』でした。
筆者も大ファンである「マリオやゼルダの生みの親」「ゲームの父」宮本茂さんは、「2Dゲームは自由に動き回れないけど分かり易い」「3Dゲームは自由に動けるけど探索に慣れが必要」という受け取り方でライトユーザーとヘビーゲーマーとのギャップが広がる問題に対し、『マリギャラ』で「球体ステージをぐるぐる回るように動くことで、一周回れば迷わないし自由に探索できる」という答えを出しました。「アイデアとは”いくつもの問題を解決できる”もの」「無難に世間に受け止められるのではなく”コアゲーマーもライトユーザーも”どんな人でも楽しめる万人向けを目標とする」宮本さんの信念が分かり易いくらいに発揮され、拡大したゲーム人口にも対応したその精神に筆者も敬服しているところであります。先に述べた「2D・3D」のプレイ感覚の話が、さっき述べた「記号性」に繋がる訳で、それにすら「キャラを横から見たスクロール2D」「ステージを上から見下ろした2D探索」「箱庭を動き回る3D」に次ぐ「球体を駆けまわる3D」という新しくて大きな方針を打ち立ててしまったのです。
こんな創造を打ち立ててしまった中で、『ティアキン』という更なる自由度まで掘り下げてしまった挑戦心―この魂は、ものに溢れた今だからこそ見直して欲しいと、筆者は熱く言っておきます!