第3部 怪談クラブの惨劇 前編

 
海城夕紀が解決した、中田礼二殺害事件。
中田美術館で起きた、強盗犯との逃走劇。
この二つの事件より昔のこと。中田邸よりそう遠くない山で、ある惨劇が発生していた。そのことを知る者は、ごくわずかな人間である。
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まだ続く猛暑が青空を照らした。盆休みに集まった、色とりどりの服を着た者たちは、代々木に建つビルの屋上にある狭い部屋に置かれた机を胡坐で囲んでいた。
少しだけ皺の目立つベージュのシャツを着た女が、立ち上がって話を始める。
「皆さん、会合を始めます。まずは出席を。マキさん」
「はい」
この中で一番背の高い黒いジャケットの男が返事をした。
「次に――ミサワさん」
「はい!」
筋肉を緑のタンクトップで示すその男は、さわやかに答えた。
「次――新人の方ね。ノムラさん」
「あ、はい」
髪をかきながら赤い服の男が顔を上げた。
「まだ慣れていない? このクラブでの名前、すぐ似合うようになるわ。最後に、オガワさん」
「はい」
髪の長い深緑のワンピースの女が、涼しい笑顔を見せた。
「皆さん、よく集まってくれました。ワタクシ――マトヤより、今月の予定をお話しします」
マトヤがカバンから出したのは、1990年7月29日付けの新聞だった。その記事は、多摩のある屋敷で、女性が亡くなっていたと伝えている。
マキが体を乗り出し、記事を覗き込んだ。
「密室での遺体発見、ですか。これまた興味深いですね」
ノムラが腕を組みながら言う。
「現実で密室なんて、初めて聞きました。かつ強烈なまでに完全に塞がれていた、と」
マトヤは一口水を飲み、話始めた。
「今年の春のことでしたか。このお屋敷では、娘さんもご病気で亡くなったそうです。そのショックで、その子の母親が自殺したと、記事には書かれています」
ミサワが頷いた。
「母親の遺体が見つかったのは程なくしてのこと、梅雨に入る前のことですね。内側からハンダ付されている密室とはねぇ」
オガワも、口元に笑みを浮かべながら言う。
「少女が亡くなり、母親がこんな密室状況で亡くなる――なかなか興味深い事件ですわ」
笑顔を浮かべながら、マトヤが話を続けた。
「この事件が起きてからというもの、この屋敷の近くでは怪談話が聞かれるようになったそうです。この母娘の幽霊の仕業だとか、色々と噂が立っております」
マキはフンフンと鼻を鳴らした。
「興味深い。実に興味深いですな」
マトヤもさわやかに語る。
「我々怪談クラブの研究材料としては、非常に面白い内容です。この噂について、近くの山にテントを張り、調査してみましょう」
ミサワが興奮して話し始めた。
「ほっほう、いいですね。幽霊の近くで野宿……恐怖の極み!」
マトヤが「落ち着いて」とばかりに手を上げた。
「ミサワさん。楽しみはもう少し後に取っておきましょう」
コップの水が切れたマトヤに、ミサワがビンの牛乳を差し出した。
「お好きでしたよね」
「ありがとう」
一口飲み、マトヤは話を続けた。
「我々は、非現実と言われる現象を、徹底的に現実と思えるように迫り、調べるために結成された団体です。否、私は”非現実”と言いましたが、本来これはおかしな言葉です。人類は、自分たちの知識量を基準にこんな言葉を使っていますが、そもそもそんな知識量などたかがしれているのです。地球以外に降り立ったことがある天体は、自分が住んでいる星の衛星だけでしかない生き物ですのよ。”知らないから現実ではない”と言い切るのは愚かなことだと思いませんか。人類が知らない”現実”は、未だ数多く存在するのです」
熱が入り、肘を抑えぶるぶると震えながら話すマトヤに、全員が頷いた。
「それでは三日後、マキさんが車を出してくれるそうなので」
ミサワが指を鳴らして言う。
「分かりました! テントなどはそちらに詰めておきます」
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マトヤの元を離れ、新入りのノムラの歓迎会がてら、四人が集まっていた。
マキは腕を組みながら話始める。
「怪談クラブの結成のきっかけだが、さっきの話の通り、マトヤさんは超常現象をただ不思議がることに疑問を持たれていたそうでね。しかし、”人間の意思だけ”が襲ってくる幽霊だとか、そういうものに対して人が抱く恐怖という感情には興味がおありのようだ。そういう、人間のある意味では多彩な、底知れぬ欲望のようなものを調べる同志を集めることで、怪談クラブは結成されたんだ」
オガワが話に入る。
「でも、怪談というものは、やはり科学で解明できない、ということで、図り知れない魅力を持っていると思いますわ。裏を返せば、少ない知識量で満足している、人間の卑小さを示しているという、マトヤさんの主張の裏付けとも言えますが。もっと言えば、きっと幽霊や怪奇現象だって、いつの日か科学的に証明される日が来るはずです。そしてそれは、我々が知っている科学とは、全く違う形かも知れません」
「それはそうだな」
マキは大きく頷いた。
「人類の科学だって底知れぬ可能性はあるとは思うぜ。最近フィリピンで地震が起きたけど、地震だって、地盤自体を直接見ている訳ではないのに、発生する理由を人類が解明したんだ。ニュートンの時代では相対性理論や量子力学なんてものもなかったんだしな。でも、解決できない、だから非現実だ、という、思考を停止することで生まれる考えこそ、怪談というものを生み出す下地なのかもな」
ノムラはマキに聞いた。
「怪談クラブのこと、もっと詳しく教えてください」
「ああ、それじゃあこのクラブでの名前について話そうか。マトヤさんが昔好きだったものから、我々の名前を付けてくださったと聞いている」
ミサワが入ってきた。
「なんだっけな? ドラマだが小説だか」
「随分アバウトですね」
ノムラの言葉にミサワが眉間に皺を寄せた。
「映画も久しく見ていないから、俺はあまり興味がないんだ。確か、有栖川有栖って作家が書いた推理小説にも、マトヤさんが好きだというその作品の名前が出てきたと言っていたぞ」
「へえ」
相槌を打つノムラをよそに、オガワが話に入ってきた。
「私もその人の小説を時々読んでいますが、この前出た本に、クトゥルフ神話と併せてデビルマンの話が出てきて、神話と漫画を並べて話をすることにちょっと面白味を覚えましたわ」
「クトゥルフ神話?」
「ミサワさんも、たまには読書をされてみたら如何です? 推理小説の本場であるイギリスに行ったりとか、そういう知的な趣味も人生には必要ですわよ」
「余計なお世話だ」
機嫌を悪くしたミサワの言葉も気にせず、オガワが話を続けた。
「ちなみに、クトゥルフ神話というのはですね、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが創始者となった神話体系で、海にまつわる怪物が出てくるんです。ラヴクラフトは海産物が大の苦手で――」
「あーもういい!」
オガワの止まらない話にミサワが怒鳴った。オガワは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
咳ばらいをして、ミサワが話を続ける。
「しかしまあ、あの事件の仏さんもおかしな家庭だね。娘が病気で亡くなって、その母親が密室で自殺……そりゃ幽霊になるのも当然だ。まあ我々としては美味しい題材だが。ここだから言えるが、そんな不幸で怪談が生まれて俺たちの興味を深める訳だ」
「おいおい、不謹慎だな」
笑いながら言ったマキだが、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば最近、マチダって人が顔を出さなくなってな」
「マチダさん、ですか?」
ノムラが聞いた。ミサワが説明する。
「マキさんの後にこのクラブのメンバーになった人だな。一ヶ月前くらいから、会合にも来なくなってね」
「どうしたんでしょうね。まあ、私は三回ほどしか会ったことがないのですが」
オガワも首を傾げた。ノムラがまたマキに聞く。
「今度調べるっていう事件のことについてですが」
「事件のことかい。うーん、自分もまだ詳しく知らないな。現実で密室の事件が起きるなんて、驚きだな」
オガワが興奮し始めた。
「割と最近ですが、岐阜県でも本当に密室殺人が起きたことがあったそうです。まあ、トリック自体は大したものではなかったようですが」
「本当かい?」
ミサワが驚いて言ったが、気にせずオガワは話を続けた。
「件の完全密室ですが……新聞には密室での自殺と書かれていましたが、溶接での密室なんて聞いたことがありません。密室だから自殺だ、と考えるしかないとしても、そんな手間をかけるなんて、本当に自殺だったか、とも思ってしまいますね」
話の骨を折られたマキだが、便乗して続けた。
「確かにそうだ。推理小説でも、犯人が密室トリックを実行する理由とされる一番の展開が『自殺に見せかける』だったよな。もしかしてトリックがあったりして……なんてね」
興奮が冷めないオガワは話を続ける。
「ミステリーの定番となっている密室トリックですが、世界初の推理小説と言われるエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』から密室殺人は描かれていますし、出入りできないはずの部屋で殺人、という分かり易い謎が興味を惹くのでしょう。ちなみに、『自殺、或いは事故に見せかける』という理由の他に、あと四つ、密室を構成する理由はあります。密室の帝王ことディクスン・カーをはじめ、密室の理由を分類して小説の中に書いた作家は数名いるのですが、どれもこれも、ちょっとその分類方法が曖昧ですので、私で分類してみたのです。それこそカーの『三つの棺』の密室講義と同じように聞いて頂ければ」
話が止まらないその様子に全員の機嫌が次第に悪くなっていることに、オガワは全く気付いていない。
「一つ目が『他人に罪を擦り付ける』、つまり鍵を持っている人に疑いを向けさせたり、死体と二人っきりで密室に閉じ込めたりする場合ですね。二つ目が『密室にすること以外に目的がある』場合。死体の発見を遅らせたかった、とかです。まあこの場合、密室トリック自体は暴かれてもいい、というスタンスである場合も多いですね。そもそも密室トリックなんて行為を行う労力は、本当に合理的理由があってこそ発揮されるものですしね。それを踏まえて、『犯人の意図とは関係なく密室になってしまった』というケースを三つ目とします。そして最後、先ほど言ったような理屈は通用しないような頭のおかしい人間が『合理的理由はない』中で密室殺人を実行した、という場合も考えられなくはないでしょう」
一通り話終えたオガワだが、皆、返事をせず食事に戻っていた。きょとんとしながら、オガワも料理に手を付けた。
ハトガトンダゾー全景
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マキは急いで集合場所に向かっていた。
「遅刻だな……」
「マキさん!」
大声で呼んできたのはオガワだった。
「もう、マトヤさんを拾って早く行きましょう!」
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一足早く現地に向かっていたミサワとノムラは、橋からこの街の景色を見ていた。
「こんなのどかな場所で、怪談話が噂されているとはね」
ノムラはしんみりと呟いた。
「こんなところで人が亡くなるなんて」
「まあ、そう思うと、亡くなった母娘が気の毒だがね」
ミサワも静かに頷いた。
「しかしだ、だからこそ、背徳的な興奮を感じるとは思わないか。人が少ない中に人の意思を感じる、そういう恐怖というのかな。はっはっは、マキさんやオガワさんみたいな理論っぽい言い方をしてみたよ」
笑って語るミサワを余所に、ノムラは小さなカメラを胸ポケットから出し、町に向けシャッターを押した。
少し笑みを浮かべながら、ノムラは語る。
「僕、フィルムっていうものが好きなんですよ。現実をそのまま映しているみたいで。80年代の初頭からハイビジョンという方式も研究されていましたけど、その映像よりはずっと、フィルムって解像度は高いから、更に現実を感じるんです。モノクロフィルムの映像を見ても思うんです。色がないのに、現実がそこにある、みたいな」
ミサワが笑って答えた。
「君もマキさんやオガワさんみたいに理知的なんだな。でも、そのあたりは分かる気がする。幽霊だって、意思があるものが実体がない、というのが恐いんだろうし」
「そうですね。懐かしい、ってよく人がいうのも、そういう感覚に近い気がします」
川を見ながら、しみじみとノムラは言った。
「この穏やかな景色ごと、ここをフィルムに切り取りたいですね。――そういえば」
ふとノムラは、自分の服を見た。
「怪談クラブに参加するときは、絶対にこの服にしてほしいって言われましたけど」
「ああ、俺もよく理由は分からん」
ミサワが腕を組んで言う。
「マトヤさんに指示されてのことだが……なんで服装まで指定なんだろうな」
 
二人の元へ、車が近づいてくる。止まった車の運転席の窓を開け、マキが声をかけた。
「すまん、遅くなった。スーパーの三階で忘れ物を買っていたら、腹を壊してトイレに籠ることになってしまってね」
ミサワは笑顔で首を横に振った。
「こちらは前乗りして、現場の景色を楽しんでいたところだよ」
助手席のマトヤが笑みを浮かべて言った。
「さあ、平成になったばかりのこの日本で起きた事件、無念に散った人の心へ、触れに行きましょう」
二人が乗り込み、車は走り出した。
ラベルに『1990年』と書かれたテープを、マトヤがカーラジカセにセットする。中森明菜の『Dear Friend』が力強く流れた。
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5つ分のテントを張り、焚火を囲みながら、大塚山で怪談クラブの会合は始まった。
最初に話始めたのはオガワだった。
「開放的で美しいこの自然の中で、我々は怪談という恐ろしいものに触れている。非常に気持ちが高まりますわ」
ミサワも笑みが止まらない。
「ああ、興奮するねぇ! よ、来てくれ幽霊!」
「おいおい、落ち着けよ」
マキが静止するも、笑いながらであまり積極的な制止ではない。ミサワは止まらなかった。
「雰囲気が出ますねぇ、山奥で怪談話! この山は、東京は思えないくらい静かな場所だ。その分、幽霊話が持ち上がっているというのも興味をそそります」
胸ポケットから手帳を取り出し、ページをめくった。
「さっき、ここで聞いてきました。あの事件があって以来、皆さんと合流したあの橋で、幽霊の目撃情報があったようです」
「ほう、流石、ミサワさんは耳が早い」
マキの誉め言葉に、ミサワは照れ笑いしながら話を続ける。
「塾で遅くなった小学生からの情報が、あの街で広まっていたそうでしてね。夜中に橋を自転車で走っていると、ライトが壊れてしまったと。不安だからと急いで走り抜けようとすると、この土地に似合わぬ派手な車が、交通ルールを明らかに無視した速度で走ってきたのです」
「ひどいですね」
ノムラが呟く。ミサワの話は続いた。
「そして、驚いて転んだその小学生は、橋から落ちそうになってしまった。しかし、急に何かの力で押し戻されたような感覚が体を走り、体勢が元に戻ったというのです。翌日、少し離れた街で、その派手な車が事故を起こしていたとテレビのニュースで見たとのことでした。大学生だったようですが、その車に乗っていた人間は全員、助からなかったと」
「まあ」
オガワが手を口に当てた。
「でも不思議な話ですね。幽霊は悪い人を懲らしめたようで」
ノムラがしみじみと言った。ミサワも頷く。
「そうだな。まあ、悪いことはできないってこったな」
「もうどなたか、幽霊は見ましたか?」唐突にマトヤが言う。
オガワが首をかしげた。
「どういう、ことでしょう?」
マトヤは静かに話し始めた。
「ここでテントを張っているとき、私には見えたのです」
「見えた?」
ノムラが聞く。
「目の前を走り抜ける、青白い、半透明な少女を……」
少しの間、沈黙が走った。
突然、ミサワが高笑いした。
「素晴らしい、実に素晴らしい! まさに初日から幽霊ですか!」
マキも笑顔で話し始める。
「流石、怪談の研究に余念がないマトヤさんだからこそ、人類の知識量では解決できない謎が舞い降りるのでしょうね」
マトヤは、微笑みながら語る。
「嬉しい言葉ですわ。解決できない謎だからこそ、解決してみせたいですわ」
その後も、食事と怪談話は続いた。
後編
 
『名探偵・海城夕紀』