第5部 信彦、考える

 
探偵事務所.jpg
<プロローグ>
文章を書くのが好きな人がいる。本を読むことに情熱を燃やす人もいる。
……で、僕はあまり興味なく生きていた男。というか、読書とかそういうのとかだけではなく、やたら何かに夢中になった、ということ自体があまりない。
そんな僕が、「社会的なことなら題材は自由」と、歴史部に論文を提出することになってしまった。「意外と面白いもの書いてくれそう」という、杏子の――はた迷惑な――推薦だ。
 
困った僕は、この前の美術館の事件で知り合った、あの名探偵の事務所に来た。
「この前の事件の時には、『鏡地獄』の話をしていたじゃないか。そのあたりの知識は活かせないのかい?」
海城夕紀は、笑いながら僕に言った。
「そういうタイトルでしたね、鏡が出てくる小説。読書感想文のために『江戸川乱歩傑作選』を読んだのに、そこに収録された短編のタイトルすら忘れていました」
「しょうがない男だねぇ」
難事件を解決した名探偵から、きつい言葉が飛んでくる。
「そう言わないでくださいよ……」
何か書けないかと思いながら頭をかく僕に、探偵は問いかけた。
「君は『源氏物語絵巻』を見るためにあの美術館に行ったんだよね。『源氏物語』にはな、本居宣長っていう江戸時代の学者が、評論で『もののあはれ』という概念を生み出した、という歴史もある。そういう関連情報を調べるのはどうだ?」
「『もののあはれ』……ですか?」
「世の中のものに対して、何かを感じて湧き出る情、だな。ある意味、日本という国を示す珠玉の言葉だとしても過言ではない」
「うーん、僕には程遠い感覚ですねぇ」
「そんなに消極的だと話が進まねえぞ。思わぬ事件に巻き込まれた経験もあるっていうのに、そこを活かして何か書こうとか思わないのか?」
せっかく事務所まで来たのに、ボーっと答えているのは確かに失礼だった。
「すみません。でも、あの美術館でのことを色々振り返って、判断を誤って強盗にやられた可能性を考えたりしたい訳ではないですし……」
溜息をつきながら、僕は思ったことを口走った。
「深く考えたことがあるのは、ゲームについてくらいですかね」
「ゲーム? どんなことだい?」
「『ゼルダの伝説 時のオカリナ』をやった時、不思議に思ったことを、偉そうに分析してみたことはあります」
「へぇ。明日香が言っていたな、小学生の頃に何度か遊びに来日したとき、そのゲームもやってドはまりして、オーストラリアに帰りたくないと駄々をこねたことが、高校からは日本で暮らすようになったきっかけの一つだって。オタクなあいつらしい」
「いやまあ、明日香ちゃんみたいなしっかりしたオタクとは違って、僕が考えたことっていうのはしょうもないことなんですけどね」
「良いじゃないか、聞かせてみな」
戸惑いながらも、とりあえず話してみた。
「あのゲームは、子ども時代と大人時代、二つの時代を行き来して進めるんですけど、大人時代はラスボスであるガノンドロフの占領が進んで、フィールドが呪われてしまっているんです。で、その呪いはダンジョンをクリアすると解決するんですが、一つ変だなと思ったことが――」
ふと夕紀を見ると、僕のしょうもない話も真面目に聞いてくれていた。出会って間もない人だが、なんだかんだ親切なのだということは分かった。
「ゾーラの里という、水源地帯の場所があって、そこは大人時代に氷漬けの呪いをかけられてしまっているんです。それで、気になったことというのは、この氷漬けの呪いだけは、ダンジョンをクリアしても解けないんですよ」
「ふむふむ」
「なんでだろうと思って、ゲームのマップを見た時、考えたことがあって――ゾーラの里から川に流れる水は、城を通った後、谷を渡って湖に流れる、という構成なんですけど、ガノンドロフはこの谷の地方の出身という設定なんです。ちょっと下品な話ですが、勿論、城を通るということはつまり、谷に流れてくるのは、人に利用された後の汚い水、という訳で……つまりガノンドロフとしては、上流に住む王族を支配しようと画策する内に、そういう汚い水を使わされていた地方での暮らしが嫌な思い出になって、綺麗な水を守っていたゾーラの里に、より深い恨みを持ったのではないか、なんてね」
一通り話して、また頭をかいた僕だが――
「面白いじゃないか!」
名探偵はノリノリで言ってきた。
「都市の発展具合は下水の設備状況で分析できる、とよく言うからな。それをゲームから読み解こうというのも、悪いことではないと思う。それに――」
「それに?」
「俺はゲームに詳しい訳ではないが、推理小説がらみで知り合った人がいてな。ただ眺めるだけの絵画という芸術と比較した時に、受け手が介入するという強みで、ゲームという媒体も新しい価値を発揮するのではないか、って言っていたんだ」
「そうなんですか!?」
ちょっとやる気が出てきた。今回はゲームだったけど、何か他にも、僕でも書けることがあるかも知れない。
 
<考えたのは>
色々と図書館で調べた後、また事務所を訪れた。
「実はあれから、考えたことがありまして」
「ほう、また面白い話を聞かせてもらえるのか」
無邪気な笑顔で僕の話を聞いてくれる名探偵に、僕は強い好感を持ち始めていた。
「ゲームとかでも言われていることらしいんですけど、『不気味の谷』っていう概念について、本で読んだんですよ」
夕紀が腕を組みながら頷いた。
「俺も聞いたことはある。平たく言えば、ロボットとかが人に近くなると、『人じゃないのに人っぽいのが不気味だ』と、『谷のように気持ちが下がる』ことだよな」
「そうですそうです。ゲームとかのグラフィックでも、リアルになればなるほど、特に人間を元にしたものは不気味だと思うようになるっていう。で、それは最近のメディアにも言えるのではないか、という論文を書いてみようかと思いまして」
口元に柔らかな笑みを残しながら、夕紀は静かに耳を向けてくれた。僕は話を続ける。
「バラエティ番組とかで言う『やらせ』についても、ある意味『不気味の谷』の一つだと思うんです。『出演者のリアルな行動を見ている』と思っている視聴者にしてみれば、そこに台本があったっていう違和感や、製作者の恣意的な主張とかが挟まれる演出性に、嫌悪感を抱く訳ですよね。それもまた『不気味の谷』なんじゃないかなと」
探偵は笑顔で頷いた。
「いいじゃないか。俺もマスコミ関連の依頼で、世に出回った情報にまつわるトラブルを扱うことがあってね。会社の記者会見とかで言葉の一面だけ見られることが火種になることも多いが、メディアというフィルターを通した時、発言主の立ち振る舞いが信憑性を左右しているのだろうと考えて調査することがある。その意味でも、一理あると思うぜ」
ありがたい言葉に、僕も笑顔で頷いた。
「でも、先生でもない俺からの意見で、参考になるのか?」
不安げに言われた。ちょっと気を遣わせてしまったようだ。
「いえ、学校で考えるだけでは分からないことも、夕紀さんには聞けますから。今更ですけど、寧ろこんな感じで相談されて、困らないですか?」
「というと?」
「僕が今やっていること、世の中への批評みたいなものだし。この前密室トリックを暴いた推理っていうものと同じことなのか、よく分からないですし」
「うーん、それは俺もなんとも言えないな。まあでも、見ての通り暇だから、話し相手程度に思ってもらっても構わないよ」
こういう人に気を遣わせない、ちょっと無邪気なところが、この探偵が皆に好かれている理由かも知れないな。
ふと、気になっていたことを聞いてみることにした。
「夕紀さんのあの推理を見て思ったんですけど、推理の極意というか、そういうのってあるんですか?」
腕を組んで探偵は考え始める。
「まあ、最短で、必要な情報でスムースに論理を組み立てることが、推理では大切なんだと思っている。事件なんてものは時間をかけて考えるべきことではないし、効率的に考えるために不要な情報は削って考えたいと思うタイプかな、俺は。余計な情報があると、推理の邪魔になるんだ。大事なのは『こうだからこう』って、反論しようがないような一本の糸を引っ張り出して、真実を見抜くことだから、それ以上の情報は要らない。勿論、その一本の糸が本当に正しいのか、見当する必要はあるけど、『色々な角度で検討する』というのなら、逆に『足りていない角度は何だろう』と考えるべきだろう」
「へえ。推理することもできない僕じゃ、そういう風に考えられないから、こうやって情報貰いに来ている感じです」
「まあ、評論することと推理することの違いは、そのスタート時点での情報の集め方だけかも知れないな。評論のために山ほど情報を集めることは、悪いことじゃない」
ふとデスクに目線を向けると、いくつか新聞が置いてあることに気付いた。占いや九州新幹線など、色々な記事がくり抜かれている。
「何かまた、情報を集めているんですか?」
「ん? ああ、仕事柄ね。そうそう、この前の溶接密室の件が『完全すぎる密室』として話題になったらしくて、新命さんと一緒にその報道をいくつか見ていたんだよ。ほら」
僕は、差し出された新聞を覗き込んだ。
「密室殺人が現実に、ってことで、色々なことが書かれていますね」
「ああ。あの完全すぎる密室状態に感化されたのか、別の方法で溶接密室のトリックを考えた人もいるらしくて」
「そうなんですか? 別の方法で密室トリックって……話の広がり具合がすごいですね」
「だろ。あ、そうそう。実は――」
夕紀は、新聞記事のある部分を指さした。
「ちょっと気になることがあってな」
 
<AFTERMATH>
溶接密室の別解を投稿させて頂きましたが、密室自体の完全具合が強烈なだけで、あのトリック自体に斬新さがあったとは、ちょっと言いづらいですね。と言いつつ、私が考えたことも斬新だとは言えませんけど……ミステリーの定番である分、目が醒めるような斬新な密室トリックを作るというのは難しいと、改めて思ったので、今回投稿させて頂きました。
東京都在住 会社員
 
あの事件を扱った新聞記事には、世の中の密室トリックに対してやたら挑発的な言葉が載っていた。
「なかなか興味深いだろ」
夕紀が腕を組みながら言う。
「この人も、色々思うことがあるんでしょうね。かなりの推理小説好きと見た!」
笑いながら僕は言った。夕紀も笑顔で語る。
「あの事件が新聞で紹介されてスイッチが入ったんだろうな。あの密室のトリックの内容が『30年越しに解決』っていうことで紹介されたから、もっと新しいトリックを作ってみたいって。手前味噌だけど、この別の方法の溶接密室も俺はすぐに解けたんでね。テンションが上がった新命さんは、新聞社にその回答を伝えたんだ。投稿者にもその話が回ったところ、その人のハートにも火を点けてしまったらしい」
捜査一課の人がそんなことまで動いているのか。
「で、だ」
一呼吸置いてから探偵は真顔になった。
「新命さんからの情報なんだが、ちょっとおかしいことがあるんだ」
「どういうことです?」
「実は、著名な会社の社長が亡くなったということで礼二さんの事件は大々的に報道されたが、この記事が書かれた時点では、警察から溶接密室の具体的なトリックは発表されていなかったそうだ。なのに、どこからかそのトリックの内容も漏れたらしい」
「ええ!?」
驚いた。警察から過去の事件も説明されていたものと思ったのに。
眉間に皺を寄せながら、夕紀は話を続けた。
「まあ、あのトリック自体を世に広めて問題になることはないだろうとされていて、ゆくゆくは警察側からも記者クラブを通じて発表はされる予定だったそうだが。一体、誰が漏らしたんだろうね。新命さんも一応、新聞社を通して調べているそうだが、匿名での投稿だったからそこからは詳細な情報が分からないらしい。まあ、送られた手紙の動向とかを、今調べてくれている」
「あの事件からまた、そんな余波が生まれるなんて……」
「余波……アフターマス、ってか」
「あ、そういう意味だったんですね」
「ん?」
夕紀は腕を組みながら僕を見た。不意に彼が横文字を出してきたので、全く関係のないことを思い出しただけなのだが。
「いや、両親から洋楽の話を聞いた時にその単語が出てきて。ほら、ローリング・ストーンズのアルバムでしょ、『アフターマス』。杏子の話が長くなりそうなとき、こういうどうでもいい知識でかわしたことがあったのでふと頭に浮かんじゃいました」
「……そうかい」
「どうでもいいですね、すみません」
「いや良いよ。少し気が緩んだ」
微笑んだ後、少し悲しそうな顔をして言ってきた。
「俺の商売もヤクザなものかも知れない。こういう真実だけハイエナのように追いかけるのは、それこそヤラセも厭わないマスコミのダメな例と変わらないだろう。でも、真実を世に知らしめることで、俺の探偵としての格を上げたい訳じゃないんだ。――いきなり何言っているんだって感じだな」
ちょっと驚きつつ、僕は「いえ」とだけ言った。力を込めた言葉で、夕紀は話を続けた。
「何となく、嫌な真実に辿り付きそうでな。まあいい。それでも俺は、俺が引き受けた仕事に関わった人に、たった一つの真実へ向き合ってほしいと思うからね。徹底的にやらせてもらうよ」
この状況について、自分でも考えてみることにした。名探偵は論理的に色々考えているだろうけど、僕はこのネタを投稿した人の「気持ち」から考えてみることにした。論文のために考察をしたのだから、それも活かせないかな――
 
<エピローグ……という名の始まり>
名探偵・海城夕紀は相変わらず考え込んで黙っていた。
――密室トリックの内容を新聞社に伝えて、この投稿者は何をしたかったのか。
名探偵の推理とは違う観点で、僕はこの問題を考えてみることにした。
 
――世の中にこの密室事件が知られたことで、この人は何を得たのだろう。
僕としては、その部分がやたら気になっていた。
聞いたら、溶接以外での密室トリックも考えて送ってきたらしい。そんなことをするのは、密室トリックというものにとても執着心があるからではないだろうか。
推理小説の世界でしか描かれないと思われていた密室殺人が現実になって、しかもそれが「内側から溶接」という極めて高い完全性を持っていた。確かに興味深いだろう。でも、だからと言って、溶接密室の別解まで考えたりするだろうか。しかも、それを解いた探偵に挑戦するように、新たな密室トリックまで投稿するなんて、ただ好奇心を刺激されただけでやろうと思えることではない気がする。

「推理というより考察、って感じで、この不思議な状況を考えてみてもいいな」
推理の天才はそう言ってきた。
「ですねぇ……そういえば」
高山菊枝の告白で、礼二は「自慢の密室トリックは永久に屋敷の秘密だ」と言っていたことを思い出した。中田礼二があのトリックを実行したのも、娘を亡くしたことが歪んだ思いを抱いてしまったからだというのが、夕紀の推理だ。自殺のままで処理されてほしいということ、自分の歪んだ想いや罪を暴かれたくないという意味だったのだろう。
そんな想いで生まれた、溶接された完全すぎる密室。
 
……え?
今までの事件を思い返して、あの人の言動に、少し引っかかることがあった。
「夕紀さん」
探偵に話しかけると、顔を上げて僕を見てきた。
「どうした?」
僕は、気づいたことを彼に話してみた。
「――大体の結論は、君も俺も同じようだ。ここに来て鍛えた思考能力が活きたじゃないか」
名探偵からの思わぬ賛辞だった。
「会いに行くか、あの人に」
「そうしましょう」
カバンを持ってすぐ出かけようとしたが――
「まあまあ」
夕紀が腕を組みながら言う。
「そんなに急ぐことじゃない。事件が起きている訳じゃないんだ」
「……そうですね。あの人にアポ取った方がいいか」
「ああ。そうだ」
デスクに置いてあった書類を僕に見せてきた。
「明日香にもいくつか、問題を出したことがあってね。君も、推理を楽しんでみないか?」
「はい!」
名探偵からの問題を眺めながら、僕は彼が歩んだ推理の道を「考察」してみた。きっと苦難だってあっただろうけど、真実を見抜き、白日の下に晒すことに命を懸けてきた人だ。今回は、会社の社長が犯した罪を暴き、更に派生した悲劇も暴いた。幸せを得た人ばかりではなかった。でも、この世に必ず一つしかない真実をしっかり見抜いて、それに向き合うことを説いた彼は、この世の誰よりも純粋に生きようとしている――それが僕の答えだった。
 
探偵が友人に出したという問題について、僕と名探偵の話は華開いていた。
「色々な事件に関わっているんですね」
「まあな、そのおかげでメシが食えない時もあるよ」
――お金がないから、じゃないのかな?
そう考えて苦笑いしていたら、ふと、この前見た、不思議な文字が羅列された占いの記事が目に入った。
信彦編.png
ゲームという媒体からの考察を偉そうに語った僕としては、これを元に、色々な未来を想像してみるのもいいかなと思った。
「この前も、腹が減ってぶっ倒れてね。明日香に助けてもらわなければ危なかったよ」
「明日香ちゃんが来なければ、絶望の未来が待っていたようですよ」
笑いながらその新聞記事を見せると、「恐ろしいこと言うなよ!」と夕紀はむくれた。
偶然出会ったこの名探偵との付き合いは、どうやらまだ続くようだ。さあ、あの人からはどんな話が聞けるのだろうか。
〈〈第5部 完〉〉
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《作者からの挑戦》

信彦が気付いたことについて、推理するには少々想像力が必要になるかも知れない。
また、この先のエピソードのリンクは、別のエピソードに隠してある。それを探すヒントは、別のエピソードを読んだ上でこのエピソードに載せた画像を見たら分かる。
信彦はテレビゲームをきっかけに記事執筆を行おうとしていたようだが、本作も作者から読者に仕掛けたゲームでもある。
是非、推理しながら物語を楽しんでほしい。
 
『名探偵・海城夕紀』