第4部 星空へ~溶接密室の真相~

 
「お母さん、私、お外出たいな」
「ごめんね。でも、体がよくなれば、どこにでも行けるわ」
「うーん」
「恵、お外にはね、まだまだ知らない世界がたくさんあるの。だからね、ここでたくさん、お外の世界を見せてあげるわ」
「ほんとに!」
「ええ。体がよくなったら、その景色を本当に見にいきましょう」
密室の現場・図面.png
新命警部補と別れた私たちは、中田邸の鍵を借り、屋敷の中へ戻った。手伝うと言ってくれた仁藤と井沢、事のついでだと残った戸上も一緒に、例の密室が起きた現場へ向かうことになったのだ。
夕紀が調べたところによると、事件発覚時、回転ノコギリで鉄製の薄いドアを壊して突入したそうで、現在もドアは綺麗にくりぬかれたままだった。裕子さんは死後三日ほど経っていて、礼二から「妻が部屋から出てこない」と警察に通報し、発見されたそうだ。犯人が礼二だったのだから、白々しい演技だったということになるが。
もう少し、部屋の様子を見てみた。ドアの内側にハンダも残ったままだ。そして窓も当時のままのようで、同じく鉄製の枠にハンダがベッタリと溶接されている。
「窓は耐熱ガラスのようだな。壁は……コンクリートそのままで壁紙も貼っていない。だからあんな密室を作ることができたのか……」
夕紀は周りを見ながら独り言を呟いていた。
溶接の窓3.jpg
「あまり綺麗な溶け方ではないな」
仁藤がドアのハンダを見て言う。
「ガスバーナーが部屋に残っていて、それで溶かしたというのが警察の見解でしたよね。この部屋を見る限り、ハンダ以外に燃えたものは見当たらないし、確かにそうとしか思えないですね……どうやって、この部屋の他のものも燃やさずにハンダ付けにしたのかしら」
恵理子が補足するが、夕紀は腕を組んだまま答えない。
「推理中の彼を邪魔しないようにしたほうがいいかな?」
恵理子が私に小声で聞いた。
「そうだね」
その他、部屋は殺風景で特に何もない。自分でもスマートフォンで調べてみたが、当時からそういう部屋だったようだ。
戸上が溜息をつきながら窓を見た。
「全く、密室殺人なんてもの起こす神経が分からんよ。――ん?」
「どうかしたんですか」
恵理子の質問に、戸上が窓を指さして言った。
「この窓の先は美術館だったよな。ここからは、建物の中が全く見えないんだよ」
「そうなんですか?」
私も窓から外を見てみた。確かに、ここから見える景色は木製らしき物体だけだ。あれは何だろう?
その時、何か音が聞こえた。ぐうっという、動物の鳴き声のような……
「何かしら?」
恵理子がキョロキョロしていると――
「あ、悪い」
夕紀がお腹を押さえて言った。
「……腹減ったな」
全員が言葉を失い、夕紀を白い目で見た。
会議室所轄.jpg
部屋の様子は大体見たことだし、ということで、井沢たちとは別れ、夕紀と恵理子との三人で一度、所轄に向かうことにした。
新命警部補が出前で取ってくれたカツ丼をみんなで頬張り、夕紀は立ち上がった。
「さあ、腹ごしらえも終わった。捜査の続きだ」
「あら、明日香ちゃん。恵理子ちゃんも一緒じゃん!」
誰かに声をかけられた。
「杏子ちゃんに、信彦君じゃない!」
同級生の二人――南信彦と紀田杏子だった。歴史部の部員だったはずだが、ここで何をしているのだろう。
「どうしたの?」
「いやあ、実は……」
聞けば二人は、美術館の中で例の強盗と追いかけっこしたそうだ。なんてまた不運な……。
「なるほど、美術館での事件に巻き込まれたのが二人の同級生だったとはね」
夕紀が二人に話しかけた。
「美術館の中の話、聞かせてもらえるかな?」
「あの美術館のこと? うーん、上野の東京都美術館並にフロアは広かったなーとは思ったけど……」
 
逃走劇について聞いた夕紀は、二人に笑顔を向けた。
「……ありがとう、二人のおかげで、完全密室の謎も解けたよ」
「本当に!?」
恵理子が驚いて聞くと、夕紀は笑顔で答えた。
「実際にあの美術館で確かめてみたいけど、事件だらけでドタバタしているだろうし……よし、ちょっと準備するから、明日また、あの屋敷に集まろう」
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翌日、改めて中田邸に関係者が集まった。
「皆さん、また集まっていただいて、ありがとうございます」
黒いズタ袋を地面に降ろし、夕紀は言った。
「ここまで付き合ったんだ。あんたが暴いたというトリックに、俺も多少興味はある。しっかり聞かせてもらおうか」
今までの嫌味が少し抜けた口調で、戸上が言ってきた。
「私も、真実は知りたいですね」
恵理子も言う。
「僕らの情報、どこまで参考になったんですか?」
信彦が夕紀に聞いた。美術館で強盗に襲われた二人も、参考人のような立場で同席していいと夕紀が快諾したので、今日もここに来てくれた。
「いや、非常に役立ったよ。君たちのおかげで真実は完全に暴けた」
「本当ですか!? よかった!」
杏子は喜んで飛び跳ねた。
「で、中田礼二さんが仕込んだ密室トリックについて、聞かせてもらえるんですよね」
仁藤の問いに、夕紀は力強く頷いた。
「ええ。信彦君と杏子さんの話から、あの美術館の構造の意味が分かりました」
「どういうこと?」
私の問いに、夕紀が補足する。
「宙に浮いたオブジェ、昔は開放されていたであろうあの出っ張り、一階の奥にある壁が曲がった部屋、そしてその部屋の鏡。これらが示すものは――」
夕紀はズタ袋を開き、天体望遠鏡を取り出した。
「アイザック・ニュートンが発明した、この反射望遠鏡――あの美術館も、これと同じ構造をしていたんですよ」
トリック解説2.png
「ニュートン式反射望遠鏡というのは、大きな筒の奥に、主鏡と言われる球体の鏡がある構造となっています。この主鏡部分が、信彦君と杏子さんが最後に逃げ込んだ部屋だったんです。筒の中にある副鏡という鏡で、主鏡で写したものを反射し、その副鏡の様子を、接眼レンズ、つまり人が覗き込む部分で見るという仕組みなのですが、言うまでもなく、あの美術館に宙に浮くように設置されていた三角柱が、その副鏡です。そして、あの中田邸の密室の現場。あそこが丁度、望遠鏡では接眼レンズの場所にあたるんです」
「事件の後、礼二さんは鏡を取り外していたのね」
私は頷きながら言った。夕紀も、腕を組んで答える。
「ああ。業者かどこかに頼んで、トリックがばれないようにしたのだろう。裕子さんをニコチンで殺害してから、警察に発見してもらうまでの三日間にね」
「しかし――」
仁藤が質問を挟んだ。
「その構造が、密室トリックとどういう関係があるのか、今一つよく分からないですね」
「ええ、構造の話だけではね。この美術館――いや、巨大な天体望遠鏡であの密室の現場に反射したものが、夜空の天体ではなく、太陽光だったとしたら?」
「太陽光?」
恵理子が呟くと、夕紀は力強く頷いた。
「そうです。事件が起きた日の、その夏の日差しです。火であぶって窓枠の手前にだけハンダを接着し、まだ完全には閉じられていない窓から出た後に、あの建物から反射した太陽光でハンダを溶かしたんですよ。そうすることで、耐熱ガラスの窓も溶かすことなく、ハンダだけが溶ける温度を作れる。太陽光だから長時間照らす訳でもなく、ガラス越しの熱で窓枠だけ照らされたということです」
「まさか……そんなことができるのですか?」
井沢からの質問にも、夕紀は丁寧な口調で答えた。
「太陽の光を鏡で集めて熱にすることで、発電を行う方法もありますしね。美術館の中の主鏡は、上野の美術館と同じくらいの大きさという杏子さんの証言から、約3万平方メートルほどの円だと考えられます。それが丸くなって更に鏡の面積が大きくなる。それだけあれば、空気中で熱が発散しても200℃くらいにはなるでしょう。融点が180℃くらいのハンダは、窓枠にくっ付けた時の熱も残っている中で更に熱を受け、完全に溶けて窓枠に癒着、密室は完成するということです。鉄の融点は1500℃以上、耐熱ガラスも500℃くらいまで耐えるし、コンクリートの壁も300℃くらいなら持ちますから、窓枠に影響は与えることなくハンダを溶かせるんです」
「……しかしまあ、よくここまで派手なトリックを仕込んだものだ」
井沢の問いに、夕紀は望遠鏡を持って答えた。
「ここからは私の想像ですが、この美術館の構造は、裕子さんが恵さんのために考えたのではないかと思っています」
「恵の?」
仁藤が思わず言った。頷きながら夕紀は続ける。
「きっと、あの構造を意識して、星空を見せようとしていたんですよ。ほら、井沢さんがおっしゃっていたでしょう、冬の大三角を見るのが裕子さんの楽しみだったと。冬の大三角は南の空にありますから、この巨大望遠鏡も南の方を向いているんです」
「確かに……」
私は美術館の方を見た。当時は屋上から開け閉めできたのであろう、美術館の上のあのでっぱりは、しっかり南の方を向いていた。
夕紀は、俯きながら推理を続けた。
「しかし、それを見るのは叶わず、恵さんは亡くなってしまった。その喪失感だとかで、礼二さんと裕子さんとの間に諍いがあったのでしょう。そして礼二さんは、南向きであることを利用して、星空ではなく太陽光を集めるトリックを実行した。当時の礼二さんにしてみれば、娘を亡くした喪失感を、このような形で使って晴らそうという、歪んだ想いがあったのかも知れません」
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こうして、世にも奇妙な完全密室のトリックも、海城夕紀の手で暴かれた。
私たち高校生四人と、難事件を二つも解決した名探偵は、夜になっても中田邸を離れなかった。ここ最近は晴天が続いていたから、星空も綺麗だ。
夕紀が持ってきた天体望遠鏡は、新命警部補に頼んで借りたらしい。明日返す予定だから、それまで自由に使っていいと、あの人からは言われているという。
「ほら見て!」
恵理子が望遠鏡を見ながら言う。杏子が覗いた
「これが冬の大三角ね。ピントも合っているじゃない!」
信彦が笑顔で言った。
「冬の大三角のその周りの星を結ぶと、六角形になっていてね。それはそれで”冬のダイヤモンド”と言われているらしいよ」
「あら素敵!」
恵理子がはしゃぎながら言った。信彦も笑顔で続けた。
星空を見上げ、私は思った。この景色を、思い切った形で娘に見せようと思った裕子の想いは、娘と共に自分が星になった今、しっかり届いているのだろうか。
ふと、夕紀が言った。
「人間は、こういう星空の並び方だけを見て色々な説話を思い浮かべているが、もしああいう星に宇宙人がいたとしたら、俺たちと同じように、悲しんだり喜んだりする生活をしているんだろうな。そう思うと、ちっぽけなもんだよな、俺たち人間の考えることなんて」
らしくなくおセンチなことを言うではないか、この探偵は。私は笑顔で答えた。
「そうだね、だからこそ、そんな星を見ながら、時には想像力を働かせて生きているんじゃない」
「そうよ。だからこそ、裕子さんを殺したりなんてしてほしくなかった。限られた人生の中で、人は一生懸命生きているんだって、そう思ってほしかったかな」
恵理子が俯いて呟く。杏子はそっと彼女の肩を叩いた。
名探偵・海城夕紀は、頷きながら言った。
「ああ、俺も探偵として、そんな悲しみを背負う人を少しでも救えたら、なんて思うよ」
 
「お母さん、お星さまには、私みたいな人もいるのかな?」
「さあねえ、まだ大人の人も、それを分かっていないの」
「いつか分かるのかなぁ?」
「どうでしょうね。でも、今は、自分の人生を、しっかり生きていくことも大切よ」
「うん! 私、絶対元気になって、お星さまの向こうにも行きたい!」
「そうね。きっとそんな日が来るわ――」
〈〈第4部 完〉〉
 
『名探偵・海城夕紀』